2006-12-16

映画『墨攻』について



映画『墨攻』

















予告編
http://www.tudou.com/v/Aj3loBbUduQ





酒見 賢一の 墨攻 (文庫 - 1994/6)

 戦国時代の中国、特異な非攻の哲学を説き、まさに侵略されんとする国々を救援、その城を難攻不落と化す謎の墨子教団。その教団の俊英、革離が小国・梁の防 衛に派遣された。迫り来る敵・趙の軍勢は2万。梁の手勢は数千しかなく、城主は色欲に耽り、守備は杜撰であった。果たして革離はたった一人で城を守り通せ るのか―史実を踏まえながら奔放な想像力で描く中島敦記念賞受賞作。

▼第1話/革離、易水を渡る▼第2話/革離、宣言する▼第3話/革離、城壁をなおす▼第4話/革離、敵兵を斬る▼第5話/革離、強者をのぞむ▼第6話/革 離、武器を作る▼第7話/使者、来たる▼第8話/模擬戦▼第9話/開戦▼第10話/蔡丘、立つ▼第11話/暗殺者▼第12話/死闘▼第13話/革離、倒れ る●登場人物/革離(城邑防衛を専らとする墨子教団から、梁城を守るために唯一人でやってきた墨者) ●あらすじ/約2300年前、韓・魏・趙・齊・燕・秦・楚の七国が争う戦国時代の中国。超の大軍が、燕の小城、梁城を落とそうと、国境の易水川岸に軍を構 えていた。梁城では、城を守るため城邑防衛のエキスパート集団、墨家から墨者を呼んだ。しかし、やって来たのは唯一人、革離のみだった(第1話)。▼一万 五千の趙軍がやって来るまで後一か月。革離はその短い間に城壁を修理し、武器をととのえ、農民を兵に鍛え上げるために、城内の全権を自分に与えろと城主、 梁渓に迫り、将軍たちの不快を買う。夜になって、死ぬのがいやで逃げ出した農民の蔡丘の妻が産気付いき、取り押さえられる。夜が開けると城壁の外に狼の頭 が刺された竹槍が立てられていた。革離はそれが城内に潜り込んだ趙兵の仕業と見破る(第2話)。 ●その他の登場キャラクター/梁城城主・梁渓(第1話)、梁渓の息子・梁適(第2話)、農夫・蔡丘(第2話)、梁適の兄・梁魁(第5話)、巷淹中将軍(第 7話)

【天声人語】2006年12月10日(日曜日)付

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 「手のひら」が先行したが、「指」が追いつき、現在勢力は均衡中。今後は指がやや有利か。銀行の現金自動出入機(ATM)に普及し始めた「生体認証システム」の現状は、こんな感じだ。

 キャッシュカードのICチップに、手のひらや指先の静脈の形状を登録しておく。現金を引き出す際、その情報を使って本人確認をするシステムだ。ATMに手のひらをかざす方式と、指を載せる方式がある。

 数年前からATMにカメラを仕掛けて暗証番号を盗撮したり、カードの磁気情報を盗 んで偽造カードをつくったりする事件が相次いだ。対策の決め手といわれたのが生体認証だった。先行したのは現在の三菱東京UFJで、04年10月に実用化 した。個人の識別には静脈以外にも、指紋や目の虹彩(こうさい)の形などいくつかの方法がある。約千人の客にアンケートをしたところ、手のひらを推す声が 多かったという。

 しかしその後、他の大手銀行が相次いで指方式を選び、郵政公社も続いた。中小の銀行では手のひらを選ぶところもあり、銀行数ではほぼ互角だ。

 今のところ両方式の互換性はない。当初ベータとVHSに分かれたビデオレコーダーでは、結局ベータが消えた。統一規格を目指す動きはあるが、生体認証もどちらかが消えていくのか。

 両陣営ともこれまでは間違えて違う人に支払ってしまったことはないという。犯罪対策に万全はない。犯罪者の側も工夫を重ねるからだ。生体認証は世界的にも日本が進んでいる分野だといわれる。利用客の安心のため、より優れた方法を追求してほしい。

【天声人語】2006年12月15日(金曜日)付

【天声人語】2006年12月15日(金曜日)付 ここから広告です

 街角に救世軍の社会鍋が立ち、人は時に立ち止まり、また立ち止まらずに行き交う。師走・極月も半ばまで来た。この一年を、住友生命が募集した「創作四字熟語」を見ながら顧みる。

 耐震偽装での証人喚問という重苦しい「住人怒色(じゅうにんどいろ)」で年があけ たが、2月にはトリノ五輪で「銀盤反舞(ぎんばんそるまい)」が見られた。3月には、王ジャパンがWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で世界一 に輝く「結果王来(けっかおうらい)」があり、夏の高校野球では「投姿端麗(とうしたんれい)」ありと、スポーツ界では明るい話題が幾つか続いた。

 秋には政権が交代し、「美治麗国(びじれいこく)」をうたう「晋総開店(しんそう かいてん)」があった。全国の高校に「逸修科目(いっしゅうかもく)」が広まっていたことが判明し、今は「いざなぎ」を超えるというが実感の伴わない「感 無景気(かんむけいき)」の中にある。

 これらの作品に誘われて、最近の問題について、もどきを考えてみた。やらせのタウンミーティングは、いわば政府による「自作偽演(じさくぎえん)」だ。これでは、ものごとが「官求事態(かんきゅうじたい)」や「官求自在(かんきゅうじざい)」にされかねない。

 「岸回生風(きしかいせいふう)」の気配も漂う安倍首相は、官房長官時代の責任をとって報酬の一部を返納するという。しかし、小泉政権が掲げた直接対話について世論誘導の疑いが指摘されたことは深刻だ。前首相は、教育改革などで改めて本当の対話を試みてはどうか。

 列島の北から南まで、知事の逮捕が相次いだ。誰にでも、「慢心創痍(まんしんそうい)」や「思考錯誤(しこうさくご)」に陥りかねない時はあるとしても、これでは「地方自沈(ちほうじちん)」だ。残る半月に、心が浮き立つようなことが一つでも多くあるようにと念じたい。

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参考:
http://coffeejp.com/blog/index.php/106800/action_viewspace_itemid_8496.html

【天声人語】2006年12月16日

asahi.com :朝日新聞今日の朝刊-天声人語: "【天声人語】2006年12月16日(土曜日)付

フランスの作家で啓蒙(けいもう)思想家のルソーは、著書『エミール』で理想的な教育のあり方を熱っぽく語った。自然を偉大な教師とし、子どもの本性を尊重することを説く。

 そして最もよく教育された者とは、人生のよいこと悪いことに最もよく耐えられる者だと述べる。「だからほんとうの教育とは、教訓をあたえることではなく、訓練させることにある」(岩波文庫・今野一雄訳)。

 従って、教える側に対しては厳しい。「一人の人間をつくることをあえてくわだてる には、その人自身が人間として完成していなければならない」という。これでは、資格のある人はまず居ないのではないかと考えてしまう。しかし、教育の根本 を、それほどまでに厳粛なものととらえていた姿勢は、胸を打つ。

 教育基本法の改正を巡る国会の動きを見ていると、残念ながら、教育の根本を扱っているのだという厳粛さが伝わってこない。審議の質は、これまでにかけた時間だけでは測れないはずだ。

 ましてや、この改正と密接に関係する政府主催の教育改革のタウンミーティングには「世論誘導」が指摘され、そのあきれた実態が明らかになったばかりだ。首相や文部科学相が報酬を返納し、文科省の幹部職員ら多数が処分されたことを軽く見過ぎてはいないか。

 処分が出たからといって、あの「世論誘導」の集まりそのものが消滅したわけでもない。教育の現場や子どもたちに、国会の動きはどう映っただろうか。子どもたちや、そのまた子どもたちの未来にかかわる法案にふさわしくない、性急な採決だった。

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注釈:
ルソー:〔Jean-Jacques R.〕フランスの作家・啓蒙思想家。ジュネーヴ生れ。「人間不平等起源論」「社会契約論」などで民主主義理論を唱えて大革命の先駆をなすとともに、「新エロイーズ」などで情熱の解放を謳ってロマン主義の父と呼ばれ、また「エミール」で自由主義教育を説き、「告白」では赤裸々に自己を語った。(1712~1778)
   (中国語) 
卢梭(1712-1778),法国启蒙思想家。他的《爱弥儿》是构思20年和撰写3年于1762年出版的不朽之作。卢梭在《爱弥儿》一书中指出旧教育的失败,同时,积极地提出了建设新教育的系统的方案。《爱弥儿》一书分为五卷,其主线索是回归自然,发展天性。
『エミール』:《爱弥儿》

本性:生まれながらの性質。本来の性質。ほんせい。「─を現す」 ほん‐しょう【本性】

教訓:きょうくん【教訓】ケウクン[0]教えさとすこと。また、その言葉や内容。「─を垂れる」「失敗がよい─となった」

あえて:あえ‐て【▽敢えて】アヘ─(副)
 1、《下に意図性をもった動詞句を伴って》困難な状況や心理的抵抗をおして物事を行うさま。そうする(または、そうしない)だけの価値があるものとして言う。しいて。「君のために─言おう」「評価は高いが、─苦言を呈する」「将来を慮り、責任は─追及しない」
 2、《主に不必要の意を表す表現を伴って》とりたてて~する必要や価値がない。別に。特別に。ことさらに。「─泣くことはない」「─断るまでもない」
 3、《下に打ち消しを伴って》全く。少しも。また、必ずしも。「壊滅と言うも─誇張ではない」◇古い言い方。

くわだてる:くわ‐だ・てる【企てる】クハ─(他下一)
  あることをしようと計画する。また、それを実行しようとする。もくろむ。企図きとする。「金もうけ[悪事]を─」◇「くわたつ(=つまさき立って伸び上がる意)」から出た語。

胸を打つ:感嘆する。感動させられる。心を打つ。「勇気ある行為が人々の─・った」

改正:かい‐せい。改めて正しくすること。

ましてや:
 まして-や [1] 【況してや】 (副)「況して{(1)}」を強めた言い方。
 まし-て [1] 【況して】 (副)〔「増して」の意〕
(1)二つ事例を並べあげて,前述の場合でさえこうなのだから,後述の場合はもちろん,の意で使う。なおさら。いうまでもなく。「他人でさえ興奮するのだから,―本人はどんなだったろう」
(2)なおいっそう。さらに。「瓜食(ハ)めば子ども思ほゆ栗食めば―偲(シヌ)はゆ/万葉 802」

タウンミーティング:[town meeting](名)政治家・行政官などが国民と政策についての意見を交換する対話集会。一般市民と政治家の非公式な討論会。アメリカのクリントン大統領が展開している,国民や企業関係者などとの対話作戦.

報酬を返納する:
 報酬:ほう‐しゅう 労力・尽力または物の使用の対価として給付される金品。「─を支払う」
 返納する:へん‐のう もとの場所・所有者に返して納めること。「奨学金を─する」

性急な採決:
 性急:せい‐きゅう あわただしく先を急ぐこと。気が短くて、せっかちなこと。「─に事を運ぶ」
 さいけつ【採決】[0][1]  ―する 議案の採否を、賛成意見の多少によって決めること。決をとること。



伊呂波歌


2006-12-15

今日の名作鑑賞_芥川龍之介『鼻』


 今日の名作は芥川龍之介の『鼻』です。

 芥川龍之介は東大在学中に同人雑誌「新思潮」に発表した「鼻」を漱石が激賞し、文壇で活躍するようになる。王朝もの、近世初期のキリシタン文学、江戸時代の人物・事件、明治の文明開化期など、さまざまな時代の歴史的文献に題材をとり、スタイルや文体を使い分けたたくさんの短編小説を書いた。体力の衰えと「ぼんやりした不安」から自殺。その死は大正時代文学の終焉と重なっている。

 『鼻』は大正5年の作品なので、現代日本語とは合わないところがあり得るのですが、言葉遣いは面白くてわかりやすいと思います。
 テキストは『青空文庫』から、朗読は『ききみみ名作文庫』により、横内正が読んでくださったものです。早速皆さんと一緒に楽しみましょう。

朗読はこちらへ

                 
(http://www.tudou.com/v/rLvl9nBiXmk)
                芥川龍之介
 禅智内供(ぜんちないぐ)の鼻と云えば、池(いけ)の尾(お)で知らない者はない。長さは五六寸あって上唇(うわくちびる)の上から顋(あご)の下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰(ちょうづ)めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。 五十歳を越えた内供は、沙弥(しゃみ)の昔から、内道場供奉(ないどうじょうぐぶ)の職に陞(のぼ)った今日(こんにち)まで、内心では始終この鼻を苦に病んで来た。勿論(もちろん)表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。これは専念に当来(とうらい)の浄土(じょうど)を渇仰(かつぎょう)すべき僧侶(そうりょ)の身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。それよりむしろ、自分で鼻を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったからである。内供は日常の談話の中に、鼻と云う語が出て来るのを何よりも惧(おそ)れていた。 内供が鼻を持てあました理由は二つある。――一つは実際的に、鼻の長いのが不便だったからである。第一飯を食う時にも独りでは食えない。独りで食えば、鼻の先が鋺(かなまり)の中の飯へとどいてしまう。そこで内供は弟子の一人を膳の向うへ坐らせて、飯を食う間中、広さ一寸長さ二尺ばかりの板で、鼻を持上げていて貰う事にした。しかしこうして飯を食うと云う事は、持上げている弟子にとっても、持上げられている内供にとっても、決して容易な事ではない。一度この弟子の代りをした中童子(ちゅうどうじ)が、嚏(くさめ)をした拍子に手がふるえて、鼻を粥(かゆ)の中へ落した話は、当時京都まで喧伝(けんでん)された。――けれどもこれは内供にとって、決して鼻を苦に病んだ重(おも)な理由ではない。内供は実にこの鼻によって傷つけられる自尊心のために苦しんだのである。 池の尾の町の者は、こう云う鼻をしている禅智内供のために、内供の俗でない事を仕合せだと云った。あの鼻では誰も妻になる女があるまいと思ったからである。中にはまた、あの鼻だから出家(しゅっけ)したのだろうと批評する者さえあった。しかし内供は、自分が僧であるために、幾分でもこの鼻に煩(わずらわ)される事が少くなったと思っていない。内供の自尊心は、妻帯と云うような結果的な事実に左右されるためには、余りにデリケイトに出来ていたのである。そこで内供は、積極的にも消極的にも、この自尊心の毀損(きそん)を恢復(かいふく)しようと試みた。 第一に内供の考えたのは、この長い鼻を実際以上に短く見せる方法である。これは人のいない時に、鏡へ向って、いろいろな角度から顔を映しながら、熱心に工夫(くふう)を凝(こ)らして見た。どうかすると、顔の位置を換えるだけでは、安心が出来なくなって、頬杖(ほおづえ)をついたり頤(あご)の先へ指をあてがったりして、根気よく鏡を覗いて見る事もあった。しかし自分でも満足するほど、鼻が短く見えた事は、これまでにただの一度もない。時によると、苦心すればするほど、かえって長く見えるような気さえした。内供は、こう云う時には、鏡を箱へしまいながら、今更のようにため息をついて、不承不承にまた元の経机(きょうづくえ)へ、観音経(かんのんぎょう)をよみに帰るのである。 それからまた内供は、絶えず人の鼻を気にしていた。池の尾の寺は、僧供講説(そうぐこうせつ)などのしばしば行われる寺である。寺の内には、僧坊が隙なく建て続いて、湯屋では寺の僧が日毎に湯を沸かしている。従ってここへ出入する僧俗の類(たぐい)も甚だ多い。内供はこう云う人々の顔を根気よく物色した。一人でも自分のような鼻のある人間を見つけて、安心がしたかったからである。だから内供の眼には、紺の水干(すいかん)も白の帷子(かたびら)もはいらない。まして柑子色(こうじいろ)の帽子や、椎鈍(しいにび)の法衣(ころも)なぞは、見慣れているだけに、有れども無きが如くである。内供は人を見ずに、ただ、鼻を見た。――しかし鍵鼻(かぎばな)はあっても、内供のような鼻は一つも見当らない。その見当らない事が度重なるに従って、内供の心は次第にまた不快になった。内供が人と話しながら、思わずぶらりと下っている鼻の先をつまんで見て、年甲斐(としがい)もなく顔を赤らめたのは、全くこの不快に動かされての所為(しょい)である。 最後に、内供は、内典外典(ないてんげてん)の中に、自分と同じような鼻のある人物を見出して、せめても幾分の心やりにしようとさえ思った事がある。けれども、目連(もくれん)や、舎利弗(しゃりほつ)の鼻が長かったとは、どの経文にも書いてない。勿論竜樹(りゅうじゅ)や馬鳴(めみょう)も、人並の鼻を備えた菩薩(ぼさつ)である。内供は、震旦(しんたん)の話の序(ついで)に蜀漢(しょくかん)の劉玄徳(りゅうげんとく)の耳が長かったと云う事を聞いた時に、それが鼻だったら、どのくらい自分は心細くなくなるだろうと思った。 内供がこう云う消極的な苦心をしながらも、一方ではまた、積極的に鼻の短くなる方法を試みた事は、わざわざここに云うまでもない。内供はこの方面でもほとんど出来るだけの事をした。烏瓜(からすうり)を煎(せん)じて飲んで見た事もある。鼠の尿(いばり)を鼻へなすって見た事もある。しかし何をどうしても、鼻は依然として、五六寸の長さをぶらりと唇の上にぶら下げているではないか。 所がある年の秋、内供の用を兼ねて、京へ上った弟子(でし)の僧が、知己(しるべ)の医者から長い鼻を短くする法を教わって来た。その医者と云うのは、もと震旦(しんたん)から渡って来た男で、当時は長楽寺(ちょうらくじ)の供僧(ぐそう)になっていたのである。 内供は、いつものように、鼻などは気にかけないと云う風をして、わざとその法もすぐにやって見ようとは云わずにいた。そうして一方では、気軽な口調で、食事の度毎に、弟子の手数をかけるのが、心苦しいと云うような事を云った。内心では勿論弟子の僧が、自分を説伏(ときふ)せて、この法を試みさせるのを待っていたのである。弟子の僧にも、内供のこの策略がわからない筈はない。しかしそれに対する反感よりは、内供のそう云う策略をとる心もちの方が、より強くこの弟子の僧の同情を動かしたのであろう。弟子の僧は、内供の予期通り、口を極めて、この法を試みる事を勧め出した。そうして、内供自身もまた、その予期通り、結局この熱心な勧告に聴従(ちょうじゅう)する事になった。 その法と云うのは、ただ、湯で鼻を茹(ゆ)でて、その鼻を人に踏ませると云う、極めて簡単なものであった。 湯は寺の湯屋で、毎日沸かしている。そこで弟子の僧は、指も入れられないような熱い湯を、すぐに提(ひさげ)に入れて、湯屋から汲んで来た。しかしじかにこの提へ鼻を入れるとなると、湯気に吹かれて顔を火傷(やけど)する惧(おそれ)がある。そこで折敷(おしき)へ穴をあけて、それを提の蓋(ふた)にして、その穴から鼻を湯の中へ入れる事にした。鼻だけはこの熱い湯の中へ浸(ひた)しても、少しも熱くないのである。しばらくすると弟子の僧が云った。 ――もう茹(ゆだ)った時分でござろう。 内供は苦笑した。これだけ聞いたのでは、誰も鼻の話とは気がつかないだろうと思ったからである。鼻は熱湯に蒸(む)されて、蚤(のみ)の食ったようにむず痒(がゆ)い。 弟子の僧は、内供が折敷の穴から鼻をぬくと、そのまだ湯気の立っている鼻を、両足に力を入れながら、踏みはじめた。内供は横になって、鼻を床板の上へのばしながら、弟子の僧の足が上下(うえした)に動くのを眼の前に見ているのである。弟子の僧は、時々気の毒そうな顔をして、内供の禿(は)げ頭を見下しながら、こんな事を云った。 ――痛うはござらぬかな。医師は責(せ)めて踏めと申したで。じゃが、痛うはござらぬかな。 内供は首を振って、痛くないと云う意味を示そうとした。所が鼻を踏まれているので思うように首が動かない。そこで、上眼(うわめ)を使って、弟子の僧の足に皹(あかぎれ)のきれているのを眺めながら、腹を立てたような声で、――痛うはないて。 と答えた。実際鼻はむず痒い所を踏まれるので、痛いよりもかえって気もちのいいくらいだったのである。 しばらく踏んでいると、やがて、粟粒(あわつぶ)のようなものが、鼻へ出来はじめた。云わば毛をむしった小鳥をそっくり丸炙(まるやき)にしたような形である。弟子の僧はこれを見ると、足を止めて独り言のようにこう云った。 ――これを鑷子(けぬき)でぬけと申す事でござった。 内供は、不足らしく頬をふくらせて、黙って弟子の僧のするなりに任せて置いた。勿論弟子の僧の親切がわからない訳ではない。それは分っても、自分の鼻をまるで物品のように取扱うのが、不愉快に思われたからである。内供は、信用しない医者の手術をうける患者のような顔をして、不承不承に弟子の僧が、鼻の毛穴から鑷子(けぬき)で脂(あぶら)をとるのを眺めていた。脂は、鳥の羽の茎(くき)のような形をして、四分ばかりの長さにぬけるのである。 やがてこれが一通りすむと、弟子の僧は、ほっと一息ついたような顔をして、 ――もう一度、これを茹でればようござる。 と云った。 内供はやはり、八の字をよせたまま不服らしい顔をして、弟子の僧の云うなりになっていた。 さて二度目に茹でた鼻を出して見ると、成程、いつになく短くなっている。これではあたりまえの鍵鼻と大した変りはない。内供はその短くなった鼻を撫(な)でながら、弟子の僧の出してくれる鏡を、極(きま)りが悪るそうにおずおず覗(のぞ)いて見た。 鼻は――あの顋(あご)の下まで下っていた鼻は、ほとんど嘘のように萎縮して、今は僅(わずか)に上唇の上で意気地なく残喘(ざんぜん)を保っている。所々まだらに赤くなっているのは、恐らく踏まれた時の痕(あと)であろう。こうなれば、もう誰も哂(わら)うものはないにちがいない。――鏡の中にある内供の顔は、鏡の外にある内供の顔を見て、満足そうに眼をしばたたいた。 しかし、その日はまだ一日、鼻がまた長くなりはしないかと云う不安があった。そこで内供は誦経(ずぎょう)する時にも、食事をする時にも、暇さえあれば手を出して、そっと鼻の先にさわって見た。が、鼻は行儀(ぎょうぎ)よく唇の上に納まっているだけで、格別それより下へぶら下って来る景色もない。それから一晩寝てあくる日早く眼がさめると内供はまず、第一に、自分の鼻を撫でて見た。鼻は依然として短い。内供はそこで、幾年にもなく、法華経(ほけきょう)書写の功を積んだ時のような、のびのびした気分になった。 所が二三日たつ中に、内供は意外な事実を発見した。それは折から、用事があって、池の尾の寺を訪れた侍(さむらい)が、前よりも一層可笑(おか)しそうな顔をして、話も碌々(ろくろく)せずに、じろじろ内供の鼻ばかり眺めていた事である。それのみならず、かつて、内供の鼻を粥(かゆ)の中へ落した事のある中童子(ちゅうどうじ)なぞは、講堂の外で内供と行きちがった時に、始めは、下を向いて可笑(おか)しさをこらえていたが、とうとうこらえ兼ねたと見えて、一度にふっと吹き出してしまった。用を云いつかった下法師(しもほうし)たちが、面と向っている間だけは、慎(つつし)んで聞いていても、内供が後(うしろ)さえ向けば、すぐにくすくす笑い出したのは、一度や二度の事ではない。 内供ははじめ、これを自分の顔がわりがしたせいだと解釈した。しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。――勿論、中童子や下法師が哂(わら)う原因は、そこにあるのにちがいない。けれども同じ哂うにしても、鼻の長かった昔とは、哂うのにどことなく容子(ようす)がちがう。見慣れた長い鼻より、見慣れない短い鼻の方が滑稽(こっけい)に見えると云えば、それまでである。が、そこにはまだ何かあるらしい。 ――前にはあのようにつけつけとは哂わなんだて。 内供は、誦(ず)しかけた経文をやめて、禿(は)げ頭を傾けながら、時々こう呟(つぶや)く事があった。愛すべき内供は、そう云う時になると、必ずぼんやり、傍(かたわら)にかけた普賢(ふげん)の画像を眺めながら、鼻の長かった四五日前の事を憶(おも)い出して、「今はむげにいやしくなりさがれる人の、さかえたる昔をしのぶがごとく」ふさぎこんでしまうのである。――内供には、遺憾(いかん)ながらこの問に答を与える明が欠けていた。 ――人間の心には互に矛盾(むじゅん)した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥(おとしい)れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。――内供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。 そこで内供は日毎に機嫌(きげん)が悪くなった。二言目には、誰でも意地悪く叱(しか)りつける。しまいには鼻の療治(りょうじ)をしたあの弟子の僧でさえ、「内供は法慳貪(ほうけんどん)の罪を受けられるぞ」と陰口をきくほどになった。殊に内供を怒らせたのは、例の悪戯(いたずら)な中童子である。ある日、けたたましく犬の吠(ほ)える声がするので、内供が何気なく外へ出て見ると、中童子は、二尺ばかりの木の片(きれ)をふりまわして、毛の長い、痩(や)せた尨犬(むくいぬ)を逐(お)いまわしている。それもただ、逐いまわしているのではない。「鼻を打たれまい。それ、鼻を打たれまい」と囃(はや)しながら、逐いまわしているのである。内供は、中童子の手からその木の片をひったくって、したたかその顔を打った。木の片は以前の鼻持上(はなもた)げの木だったのである。 内供はなまじいに、鼻の短くなったのが、かえって恨(うら)めしくなった。 するとある夜の事である。日が暮れてから急に風が出たと見えて、塔の風鐸(ふうたく)の鳴る音が、うるさいほど枕に通(かよ)って来た。その上、寒さもめっきり加わったので、老年の内供は寝つこうとしても寝つかれない。そこで床の中でまじまじしていると、ふと鼻がいつになく、むず痒(かゆ)いのに気がついた。手をあてて見ると少し水気(すいき)が来たようにむくんでいる。どうやらそこだけ、熱さえもあるらしい。 ――無理に短うしたで、病が起ったのかも知れぬ。 内供は、仏前に香花(こうげ)を供(そな)えるような恭(うやうや)しい手つきで、鼻を抑えながら、こう呟いた。 翌朝、内供がいつものように早く眼をさまして見ると、寺内の銀杏(いちょう)や橡(とち)が一晩の中に葉を落したので、庭は黄金(きん)を敷いたように明るい。塔の屋根には霜が下りているせいであろう。まだうすい朝日に、九輪(くりん)がまばゆく光っている。禅智内供は、蔀(しとみ)を上げた縁に立って、深く息をすいこんだ。 ほとんど、忘れようとしていたある感覚が、再び内供に帰って来たのはこの時である。 内供は慌てて鼻へ手をやった。手にさわるものは、昨夜(ゆうべ)の短い鼻ではない。上唇の上から顋(あご)の下まで、五六寸あまりもぶら下っている、昔の長い鼻である。内供は鼻が一夜の中に、また元の通り長くなったのを知った。そうしてそれと同時に、鼻が短くなった時と同じような、はればれした心もちが、どこからともなく帰って来るのを感じた。 ――こうなれば、もう誰も哂(わら)うものはないにちがいない。 内供は心の中でこう自分に囁(ささや)いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。
(大正五年一月)
底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年9月24日第1刷発行   1997(平成9)年4月15日第14刷発行底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月入力:平山誠、野口英司校正:もりみつじゅんじ1997年11月4日公開2004年3月7日修正青空文庫作成ファイル:このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。

年賀状受け付け、きょうから始まる  

年賀状受け付け、きょうから始まる  

http://www.tudou.com/v/qCtDlS9KY_I

 来年用の年賀状の受け付けが始まりました。
 来年用の発行枚数はおよそ38億枚で、去年よりも7%減っています。
 ただ、年賀状を投函する時期が年々遅くなっているということで、日本郵政公社では、元日に確実に届けるには今月25日までに出すよう呼びかけています。(2006年12月15日(金) )

「中性」アイドル、中国の若者に人気(TBSニュースによる)


「中性」アイドル、中国の若者に人気
http://www.tudou.com/v/a5tYG-f9URQ
 中国では、女性の社会進出に伴って、人気アイドルの傾向にも大きな変化が現れているようです。

 中国版「スター誕生」を勝ち抜いて、一躍アイドルの座にのし上がった四川省出身の李宇春(リ?ユーチュン)さん。ボーイッシュな風貌が、中高生の人気を集めています。

 「女の子が格好よくて、どうしてダメなの?」(ファン)

 男っぽく振る舞いたいけれども、なかなかできない。そんな微妙な女心を、代わりに表現してくれるのが彼女の存在のようです。

 一方、男性も筋骨たくましいというよりは、なよなよしたタイプに人気があるようです。

 高視聴率を記録した上海のイケメンコンテスト番組で上位を占めたのは、やはり「中性」でした。

 「純真なところが好きです」(ファン)
Q.自分の顔で好きなパーツは?
 「耳です。小さくて???」(コンテスト出場者)

 「女性の男性化、男性の女性化は、女性の勝利の結果だと思います」(上海大学 顧駿 教授)

 この教授は、女性の社会的地位が高まり、思いのままに好みのタイプを主張するようになった結果、中性ブームを作り出したのだと分析します。とは言え、いざ現実に生涯のパートナーを選ぶとなると話は違うようです。

 「『中性』が好きな女の子もいるけど、私は彼のような男らしい人が好きです」(新婦)

 中国では今、価値観の多様化が急速に進んでいます。しかも、新しい価値観を作り出すリーダーは女性です。(2006年11月20日09:24)


2006-12-14

安倍首相の“今年の1文字”は意外な…

安倍首相の“今年の1文字”は意外な… <12/13 2:14>
 世相を1文字で映し出す今年の漢字が「命」と発表されたのを受けて、安倍首相は12日、「今年前半は雪害で多くの方々が亡くなった。また、災害で多くの方々が亡くなられた。いじめの問題で子供が自ら命を絶つということもあった。命の尊さ、大事さをあらためて認識した一年だった。また秋篠宮殿下にお子さまが誕生して、新しい命の誕生が希望やまた夢を与えてくれる、こんな思いもあった年ではなかったか」と一年を振り返った。 また、安倍首相にとっての今年の1文字は?との質問には、「それは『責任』ですね。大きな責任を担うことになった、そういう気持ちですね」と述べた。 思わず「字余り」で1年を振り返った安倍首相。難題が山積し、“重圧”が、2文字になって出てしまったのだろうか。

http://www.tudou.com/v/HfkhNP5iQYk
http://www.tudou.com/programs/view/HfkhNP5iQYk/

中日现行小学语文教学大纲比较

一、中日小学语文教学大纲在编排体例上的差异日本的小学语文教学大纲大体由四部分内容组成:第一,小学语文教学的总目标;第二,各年级的学习目标和内容;第三,安排教学计划时应注意的事项以及教科书选材时应考虑的内容;最后一部分以附表的形式列出各学年应掌握的汉字。这其中,小学语文教学的总目标相当于我国的小学语文教学的目的;安排教学计划时应注意的事项,相当于我国的教学提示和教学中应注意的几个主要问题。我国教学大纲中“课外活动”一项在日本的教学大纲中没有,日本教学大纲中“教科书选材时应考虑的内容”与“各学年应掌握的汉字”,我国教学大纲中没有。在编排上,我国的小学语文教学大纲是以年级为序,分别从“汉语拼音”、“识字、写字”、“听话、说话”、“阅读”、“作文”中分若干项分别叙述具体要求。日本则不同,每个年级先是应达到的目标。其中包含能力目标和态度目标两个方面;然后是具体的学习内容,其中包含“表现”、“理解”和“言语事项”三部分。大项目套小项目,小项目中又包含更小更细的条目加以阐述。如“表现”部分,就包含“说”、“作文”、“朗读”、“抄写”、“听写”等有关表现的内容。“理解”部分,又包含“听”、“读”以及“抄写”内容中有关理解能力培养的内容。“言语事项”部分,由“言语有关的事项”和“书写有关的事项”两部分组成。“言语有关的事项”包括发音、发声、文字、标点符号、语句的有关知识,字典的利用,句子和文章的结构,语言的不同表现法,敬语的使用等等。“书写有关的事项”相当于我国的“写字”,其中对写字姿势、用笔、运笔方法、笔顺、字形、字的大孝结构安排等都作了全面的规定。

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